語句説明

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【六角堂】
京都市中京区六角通り烏丸東にある天台宗の寺院。正式には、頂法寺といい、旧称は雲林寺。聖徳太子の開創と伝えられ、本尊は如意輪観音。親鸞聖人が百日の参籠をなさったところとして有名である。

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【聖徳太子】
用明天皇の皇子。諱は、厩戸皇子といい、推古天皇の皇太子となり、摂政として十七条憲法や冠位十二階を制定。在俗の身で仏教興隆事業につとめ、我が国の仏教弘通の基礎をつくった。

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【法然上人】
親鸞聖人の師であり、七高僧の一人。黒谷の叡空に学ぶが、源信の『往生要集』によって善導の『観経疏』を知り、他力念仏の至極に達する。吉水で草庵を結び、専修念仏を広める。承元法難に遭い、土佐に流されることとなったが、藤原兼実の尽力により讃岐に止まることとなった。

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【他力】
「一切の生きとし生きるものを一味平等の涅槃の境界にあらしめたい」と願われる阿弥陀如来の本願力に随順することを他力と言う。「他人の力をアテにする」とか「努力や精進することを放棄する」というような意味ではない。

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【大谷の地】
京都市の東山山麓・円山あたりをいう。法然上人が専修念仏を創唱した吉水の庵室や晩年を過ごした大谷の禅房は、この辺りであった。弘長2年(1262)、親鸞の遺骨をこの地に納め、文永9年(1272)吉水の北辺に改葬して廟堂を建てたとし、これを大谷の地とする。

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【留守職】
親鸞聖人の廟堂を守護するために置かれた職。覚信尼の血を受け継ぐものが継承していった。

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【別当職】
別当職は公的な寺の長官を示すことばであり、大谷廟堂が本願寺というように寺院化すると公的にこの名称が用いられるようになる。別当職は現在の寺院の住職にあたる。

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【阿弥陀仏】
浄土真宗の本尊、西方極楽世界の教主。梵名はアミターユス(無量寿)とアミターバー(無量光)がある。『大経』では、はるかな昔に出世された世自在王仏のもとで出家した法蔵比丘が、五劫という長い間、思惟し、四十八願をおこし、長い間、修行し、その願いがすべてかない阿弥陀仏となったとされている。

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【吉崎】
福井県坂井郡金津町吉崎。越前河口庄細呂木郷吉崎と称した。もとは興福寺一院の所領であったが、蓮如上人が一乗院の了覚の了承のもとに、文明3年(1471)この地をひらき坊舎を建立し北陸教化の拠点とした。しかし文明7年(1475)、蓮如上人の畿内帰還後、加賀の富樫政親により破却された。

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【山科本願寺】
文明14年(1482)、山科に蓮如上人が建立した本願寺をいう。寛政6年(1465)に大谷の本廟が比叡山の衆徒に破却されて以来はじめて本願寺の名のもとに再建されたもの。松林山と号し、大津近松に長らくあった親鸞聖人の影像を安置した。

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【日野富子】
宝亀11年(1440)〜承和3年(1496)。父は日野重政。1455年室町幕府8代将軍足利義政と結婚。男子が生まれず義政の弟義視を後継とするが、翌年義尚を生み対立するようになり、応仁の乱の原因ともなった。

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【石山本願寺】
摂津国生玉庄に明応5年(1496)蓮如上人が石山坊舎を建立。天文元年(1532)に山科本願寺が細川・六角・日蓮宗門徒の攻撃を受けたため本願寺10世の証如上人が本寺と定める。天正8年(1580) 石山合戦終結の49年間存続し、多くの人々を集め一大寺内町を形成した。

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【寺基】
寺院の礎となるもので、親鸞聖人の教えが法灯として受け継がれてあるところで、そこには親鸞聖人の血脈を受け継ぎ、法の伝承者たる師主(善知識)がいらっしゃる。

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【真宗大谷派・本願寺(東)を解散消滅】
明治政府の宗教政策によってつくられた真宗大谷派は、本願寺を本山とする末寺門徒の包括団体であったが、昭和62年に本山である本願寺を法人登記法上からも解教消滅させ、大谷家を本願寺住職の職から追放し、その堂宇や財産を悉く吸取し、本願寺の名称をも廃して、真宗本廟という宗派の施設としてしまった。

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【真宗本廟】
昭和56年、真宗大谷派が大谷家を廃除して本願寺を解教消滅させ、その堂宇等の財産を吸取し、真宗大谷派内の憲法である宗憲を改制し、本願寺という名称を廃して真宗本廟と称するようになった。

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【東山上花山・本願寺】
昭和62年以降、法的に本願寺が消滅した後、闡如上人のご次男である大谷暢順連枝は、本願寺の復活と宗門内を正常な姿に戻そうと尽力されてきたが、平成8年2月宗門内に止まっては、もはや本願寺の復活と宗門を正常な姿に戻すことが不可能であるために、当時、門首であったご長男、大谷業成師、ご次男、大谷実成師とともに宗門から離れ、本願寺のゆかりの地でもある東山上花山に新たに寺基を移転されました。