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翌日、再びアグラスラーワカ寺院を訪れた。ここで、マハボディソサエティーの僧侶による、仏舎利を送る法要がいとなまれた。
舎利塔に、白い木綿の糸を結び、それを長く伸ばして、僧侶たちがその糸を手の中に合掌した。
その糸は何十人もの手を通り、私のところにものびてきた。航海に出る船と、港を結ぶテープのように。
その白い糸を手にしたまま、法要が始まった。この光景を見て、心のつながりというものを大切にする彼らの姿に私はまた、感動していた。
勿論、日本人が心の繋がりを大切にしないということではない。ただ日本の法要では、そういったものを、ことさらに示す儀式はしない。
国民性の違いといってしまえば、其れまでかもしれないが、このような表現の仕方、法要もあるのだと思った。
法要が終わり、我々からの感謝の意を込め、お布施をした。
長老たちには私から手渡したが、その際に、右手を出すように言われた。何だろうと思いながら、手を差し出すと、先程の糸を短く切って何重かに束ねたものを、私の手首に結び始めた。そして長老たちの読経が始まった。この時は彼らのこの行為の意味は分からなかったが、彼らの暖かい気持ちが自分の中に流れ込んでくるように感じた。
後で聞くと、その読経と手首の糸は、私のこれからの人生に対する護呪ということだった。自然に切れるまで、自分で切ってはならないという。
日本でもかなり以前に流行った、ミサンガを思い出した。こちらの糸は、願い事が叶うものではないらしい。残念ながら。
−続く−
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