ルサンチマン


 ここ数日、掲示板が微妙な雰囲気ですので、ここで私の考えを改めて書き記したいと思います。問題が複数の方向に向かっていますが、すべてについて書くと収拾がつかなくなるので、最初の問題についてだけ今回は書きます。
私が以前「今年の阪神は凄いらしいですが、それが何か?」の回で使った表現についてですが、「軽く殺意おぼえちゃいます」という表現を使用しました。この表現は不適当であるとの指摘がありましたが、この表現についての反応が得られたということは私にとっては嬉しいことでもあります。とりあえずは、「今年の阪神……」の回と、掲示板の315以下を再読して頂きたい。それを前提で話を進めます。
 最初に言いたいことは二つ。ひとつに、ここでの殺意は、本来の意味での殺意とは違う意味で使っています。その部分だけを抜き出せば、所謂、本来の意味での殺意と読めますが、全体を読んでもらえば本来の意味とは違う意味であることが、わかってもらえるかと思います。
 もうひとつは、この表現は、読む人に嫌悪感を感じて欲しくて、用いたものです。ここでは野球ファンの話をしましたが、これはあくまでも例え話であり、人それぞれに違うことに当てはめて欲しいのです。自分が、弱者、少数派であるがゆえに受けた痛み、それによって生まれた感情を。誰もが、そういった経験を持っているはずです。そして、そういった感情は正当化されがちであるので、自分でも気づかないことが多いかと思いますが、それはとても忌むべき暗い怨みに膨らむことが多いのです。抱いている本人が、正当であると信じきり、その闇の部分に気づかないことが多い感情なのです。その危険な感情を見つめなおして欲しい。そういった気持ちから、この表現を用いています。
 325において「日常会話の中で普通に行われることに対して」といった件がありますが、悪意などなく何気ない会話をしているつもりが、また時には相手のことを想った上での言葉が、ひどく相手を傷つける結果になることがあるとは想像できませんか?そして相手が自分に対し敵対的な感情を抱いてしまうことも。そして、その逆もです。
 多くの人は、「自分は善人でもないが、悪人でもない」という意識をもっていると思います。自分の中の暗い部分は、誰もが認めたくないものであり、多くの人々は頑なにそれから目を離そうとします。誰もが罪深き凡夫であることを伝えるには、時に嫌悪感を催す言葉が必要だと、私は思います。そういった言葉なしに教えを伝えられるほど、人の気持ちは浅くないし、又、私もそれができる程の術を持ちえません。