辻説法特別編
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本願寺のホームページの掲示板に、水子供養と浄土真宗のお仏壇に関するご質問をいただきました。そこで今回、「辻説法」特別編として、大谷暢順門跡台下が浄土真宗のお仏壇のあり方をわかりやすく説きます。
大谷暢順門跡台下
確かに、位牌や水子供養などと御本尊・阿弥陀さまとの関係など、浄土真宗のお仏壇の荘厳についてお悩みの方が少なくないようです。最初に結論を申し上げますと、お寺でも家庭のお仏壇でも浄土真宗にとって拝むのは、あくまでも阿弥陀さまです。決して亡き人を拝むものではありません。
また、お仏壇にお供えする花で阿弥陀さまのお顔が見えなくなったり、大きな遺影で阿弥陀さまや南無阿弥陀仏の六字名号を隠してしまう近年の葬儀のあり方も浄土真宗から言えば、決して正しいものとは言えません。どこまでも拝むのは、阿弥陀さまなのです。
拝むという行為は、水子をはじめ、亡くなった人が阿弥陀さまの元へ往ってもらいたいと願い、そして、救って下さった阿弥陀さまに感謝を申し上げることです。しかし、水子をいくら拝んでも水子には、救う力はありません。救う力をお持ちなのは、阿弥陀さまだけなのです。従って、家庭のお仏壇や葬儀では、阿弥陀さまのお顔をはっきり見えるようにして礼拝をするのが、正しいお荘厳のあり方と言えましょう。
本来、浄土真宗では位牌や亡き人の印、遺品などはお仏壇に入れないことになっています。ただし、亡き人を拝むのではなく、亡き人が極楽浄土に生まれて下さるようにとの気持ちを込めての位牌の安置なら結構なことと思います。
この問題は、浄土真宗にとって非常に大事な問題です。あらためて申し上げますが、どこまでも拝むのは、阿弥陀さまということをご理解いただきたいと思います。
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